三國演義

第二回 張翼德怒鞭督郵 何國舅謀誅宦竖

솔석자 2019. 12. 3. 14:42

第二回 張翼德怒鞭督郵 何國舅謀誅宦

 


且說董卓字仲潁, 陇西臨洮人也. 官拜河東太守, 自來驕傲. 當日怠慢了玄德, 張飛性發, 便欲

殺之. 玄德關公急止之曰:

他是朝廷命官, 豈可擅殺?”

飛曰:

若不殺這厮, 反要在他部下聽令, 其實不甘! 二兄要便住在此, 我自投別處去也!”

玄德曰:

我三人義同生死, 豈可相離? 不若都投別處去便了.”

飛曰:

若如此, 稍解吾恨.”

 

于是三人連夜投朱.

待之甚厚, 合兵一處, 進過張寶. 是時曹操自跟皇甫嵩討張梁, 大戰于曲陽. 這裏朱進攻張

張寶引賊衆七八漫, 屯于山后領玄德爲其先鋒, 與賊對敵. 張寶遣副將高昇出馬搦戰,

玄德使張飛擊之.飛縱馬挺矛, 與昇交戰,不數合, 刺昇落馬. 玄德麾軍直冲過去. 張寶就馬上披

髮仗劍, 作起妖法. 只見風雷大作, 一股黑氣, 從天而降黑氣中似有無限人馬殺來. 玄德連忙

回軍, 軍中大亂.

 

敗陣而歸, 與朱討議. :

彼用妖術, 我來日可宰猪羊狗血, 令軍士伏于山頭; 候賊赶來, 從高坡上潑之, 其法可解.”

玄德聽令, 撥關公張飛各引軍一千, 伏于山后高岡之上盛猪羊狗血幷穢物準備.  次一,

寶搖旗擂鼓,引軍搦戰, 玄德出迎. 交鋒之際, 張寶作法, 風雷大作, 飛砂走石, 黑氣慢天, 滾滾

人馬, 自天而下玄德撥馬便走, 張寶驅兵赶來將過山頭張伏軍放起號砲, 穢物齊潑.

但見空中紙人草馬, 紛紛墜地, 風雷頓息, 砂石不飛.

 

張寶見解了法急欲退軍左關公, 右張飛,  兩軍都出, 背后玄德一齊赶上, 賊兵大敗.

玄德望見地公將軍旗號, 飛馬赶來, 張寶落荒而走. 玄德發箭, 中其左臂張寶帶箭逃脫,

入陽城, 堅守不出. 引兵圍住陽城攻打, 一面差人打探皇甫嵩消息. 探子回報, 具說:

皇甫嵩大獲勝捷,朝廷以董卓屢敗, 命嵩代之. 嵩到時,張角已死; 張梁統其衆,與我軍相拒,

皇甫嵩連勝七陣, 斬張梁于曲陽.  發張角之棺, 戮尸䲷梟首, 送往京師. 余衆俱降. 朝廷加皇甫

嵩爲車騎將軍, 領翼州牧. 皇甫嵩又表奏盧植有功無罪, 朝廷復盧植原官. 曹操亦以有功, 除濟

南相, 即日將班師赴任.”

聽說, 催促軍馬, 悉力攻打陽城. 賊勢危急, 賊將嚴政刺殺張寶, 獻首投降. 遂平數郡,

上表獻捷時又黃巾余黨三人趙弘韓忠孫仲, 聚衆數萬, 望風燒劫, 稱與張角報仇. 朝廷

命朱即以得勝之師討之.

 

奉詔, 率軍前進, 時賊居宛城, 引兵攻之, 趙弘遣韓忠出戰. 遣玄德張攻城西南角.

韓忠盡率精銳之衆, 來西南角抵敵. 自縱鐵騎二千, 徑就東北角. 賊恐失城, 急棄西南而回.

玄德從背后掩殺, 賊衆大敗, 奔入宛城. 分兵四面圍定.

 

城中斷糧, 韓忠使人出城投降. 不許. 玄德曰:

昔高祖之得天下, 盖爲能招降納順; 公何拒韓忠耶?”

:

彼一時, 此一時. 昔秦項之際, 天下大亂, 民無定主, 故招降賞附, 以勸來耳. 今海內一統,

惟黃巾造反; 若容其降, 無以勸善. 使賊得利恣意劫掠, 失利便投降: 此長寇之志, 非良策也.”

玄德曰:

不容寇降是矣. 今四面圍如鐵桶, 賊乞降不得, 必然死戰. 萬人一心, 尙不可當, 況城中惟數萬

死命之人乎? 不若撤去東南, 獨攻西北. 賊必棄城而走, 無心戀戰, 可即擒也.”

然之,隨撤東南二面軍馬, 一齊攻打西北. 韓忠果引軍棄城而奔. 與玄德張率三軍

, 射死韓忠, 余皆四散奔走. 正追赶間, 趙弘孫仲引賊衆到, 交戰. 遣弘勢大, 引軍暫

退. 弘乘勢復奪宛城. 離十里下寨.

 

方欲攻打, 忽遣正東一彪人馬來到, 爲首一將, 生得廣額闊面, 虎體熊腰, 吳郡富春人也,  姓孫,

名堅, 字文台, 乃孫武子之后. 年十七歲時, 與父至錢塘, 見海賊十余人, 劫取商人財物, 于岸上

分贓. 堅謂父曰:

此賊可擒也.”

隨奮力提刀上岸, 揚聲大叫, 東西指揮, 如喚人狀. 賊以爲官兵至, 盡棄財物奔走. 堅赶上, 殺一

. 由是郡縣知名,薦爲校尉. 后會稽妖賊許昌造反, 自稱陽明皇帝”, 聚衆數萬; 堅與郡司馬招

募勇士千余人, 會合州郡破之, 斬許昌幷其子許韶. 刺史臧旻上表奏其功, 除堅爲鹽瀆丞,又除盰

眙丞下邳丞. 今見黃巾寇起, 聚執鄕中少年及諸商旅, 幷淮泗精兵一千五百余人, 前來接應.

大喜, 便令堅攻打南門, 玄德打北門, 朱儁打西門, 留東門與敗走. 孫堅首先登城, 斬賊二

余人, 賊衆奔潰. 趙弘引賊突出北門, 正迎玄德, 無心戀戰, 只待奔逃. 玄德張宮一箭, 正中孫仲,

翻身落馬. 朱儁大軍隨后掩殺, 斬首數萬級, 降者不可勝計. 南陽一路, 十數郡皆平.

班師回京,詔封爲車騎將軍, 河南尹. 表奏孫堅劉備等功. 堅由人情,除別郡司馬上任去了.

 惟玄德聽候日久, 不得除授, 三人郁郁不樂, 商街閑行, 正値郞中張鈞車到.

 

玄德見之, 自陳功績. 鈞大驚, 隨入朝見帝曰:

昔黃巾造反, 其原皆惟十常侍賣官鬻爵非親不用, 非仇不誅, 以致天下亂. 今宜斬十常侍,

首南郊, 遣使者布告天下, 有功者重加賞賜, 即四海自淸平也.”

十常侍奏帝曰:

張鈞欺主.”

帝令武士逐出張鈞. 十常侍共議:

此必破黃巾有功者, 不得除授, 故生怨言. 權且敎省家銓注微名, 待后却再里會未晩.”

因此玄德除授定州中山府安喜縣尉,克日赴任. 玄德將兵散回鄕里, 止帶親隨二十余人, 與關

來安喜縣中到任署縣事一月與民秋毫無犯, 民皆感化. 到任之后, 與關張食即同卓, 寢即同

. 如玄德在稠人广坐, 張侍立, 終日不倦.

到縣未及四月, 朝廷降詔, 凡有軍功爲長吏者當沙汰. 玄德疑在道中. 适督郵行部至縣, 玄德出郭

迎接, 見督郵施禮. 督郵坐于馬上, 惟微以鞭指回答. 張二公俱怒. 及到館驛, 督郵南面高坐,

玄德侍立階下. 良久, 督郵問曰:

劉縣尉是何出身?”

玄德曰:

備乃中山靖王之后; 自㴚郡剿戮黃巾, 大小三十余戰, 頗有微功, 因得除今職.”

督郵大喝曰:

汝詐稱皇親, 虛報功績! 目今朝廷降詔, 正要沙汰這等濫官汚吏!”

玄德喏喏聲而退. 歸到縣中, 與縣吏商議. 吏曰:

督郵作威, 無非要賄賂耳.”

玄德曰:

我與民秋毫無犯, 那得財物與他?”

次日, 督郵先提縣吏去, 勒令指稱縣尉害民. 玄德幾番自往求免, 俱被門役阻住, 不肯放參.

却說張飛飮了數拜悶酒, 乘馬從館驛前過, 見五六十個老人, 皆在門前痛哭.

飛問其故, 衆老人答曰:

督郵逼勒縣吏, 欲害劉公; 我等皆來辛苦, 不得放人, 反遭把門人赶打!”

張飛大怒, 睜圓環眼, 咬碎鋼牙, 滾鞍下馬, 徑入館驛; 把門人那裏阻擋得住, 直奔后堂, 督郵

正坐廳上, 將縣吏綁倒在地. 飛大喝:

害民賊! 認得我么?”

督郵未及開言, 早被張飛揪住頭髮,  扯出館驛直到縣前馬桩上縛住, 擧下柳條, 去督郵兩腿上

着力鞭打, 一連打折柳條十數枝.

玄德正納悶間, 廳得縣前喧鬧, 問左右, 答曰:

張將軍綁一人在縣前痛打.”

玄德忙去觀之, 見綁縛者乃督郵也.

玄德驚問其故, 飛曰:

此等害民賊, 不打死等甚!”

督郵告曰:

玄德公救我性命?”

玄德終是仁慈的人, 急喝張飛住手.

傍邊轉過關公來, :

兄長建許多大功, 僅得縣尉, 今反被督郵侮辱. 吾思枳棘叢中, 非栖鸞鳳之所; 不如殺督郵,

官歸鄕, 別圖遠大之計.”

玄德乃取印綬, 挂于督郵之頸, 責之曰:

据汝害民, 本當殺却; 今姑饒汝命. 吾綁還印綬, 從此去矣.”

督郵歸告定州太守, 太守申文省府, 差人捕捉.

玄德張三人往代州投劉恢. 恢見玄德乃漢室宗親, 留匿在家不題.

 

却說十常侍旣握重權, 互相商議, 但有不從己者, 誅之. 趙忠張讓差因向破黃巾將十索金帛,

不從者奏罷職. 皇甫嵩皆不肯與, 趙忠等俱奏罷其官. 帝又封趙忠等爲車騎將軍, 張讓等

十三人皆封列侯. 朝廷愈壞,人民嗟怨. 于是長沙賊區星作亂; 漁陽張擧張純反: 擧稱天子,

稱大將軍. 表章雪片告急, 十常侍皆藏匿不奏.

一日, 帝在后園與十常侍飮宴, 諫議大夫柳陶, 徑到帝前大慟. 帝問其故. 陶曰:

天下危在旦夕, 陛下尙自與閹宦共飮耶!” 帝曰:

國家承平, 有何危急?” 陶曰:

四方盜賊竝起, 侵掠州郡. 其禍皆由十常侍賣官害民, 欺君罔上. 朝廷正人皆去, 禍在目前矣!”

十常侍皆免冠跪伏于帝前曰:

大臣不相容, 臣等不能活矣! 願乞性命歸田里, 盡將家産以助軍資.” 言罷痛哭. 帝怒謂陶曰:

汝家亦有近侍之人, 何獨不容朕耶?” 呼武士推出斬之. 柳陶大呼:

臣死不惜! 可怜漢室天下, 四百余年, 到此一旦休矣!” 武士擁陶出, 方欲行刑, 一大臣喝住曰:

勿得下手, 待我諫去.” 衆視之, 乃司徒陳耽, 徑入宮中來諫帝曰:

柳諫議得何罪而受誅?” 帝曰:

毁謗近臣, 冒瀆朕躬.” 耽曰:

天下人民, 欲食十常侍之肉, 陛下敬之如父母, 身無寸功, 皆封列侯; 況封諝等結連黃巾, 欲爲

; 陛下今不自省, 社稷立見崩催矣!” 帝曰:

封諝作亂, 其事不明. 十常侍中, 豈無二忠臣?” 陳耽以頭撞階而諫. 帝怒, 命牽出, 與柳陶皆下

. 是夜, 十常侍即于獄中謀殺之; 假帝詔以孫堅爲長沙太守, 討區星. 不五十日, 報捷, 江夏平.

 

詔封堅爲烏程侯; 封劉虞爲翼州牧, 領兵往漁陽征張擧張純代州劉虞以書薦玄德見虞. 虞大

, 令玄德爲都尉引兵直抵賊巢, 與賊大戰數日, 挫動銳氣. 張純專一凶暴, 士卒心變, 帳下頭

目刺殺張純, 將頭納獻, 牽衆來降.  張擧見勢敗 , 亦自縊死. 漁陽盡平. 劉虞表奏劉備大功, 朝廷

赦免鞭督郵之罪除下密丞, 迀高堂尉. 公孫瓚又表陳玄德前功, 薦爲別部司馬, 守平原縣令.

德在平原, 頗有錢糧軍馬, 重整舊日氣象. 劉虞平寇有功, 封太衛.

 

中平六年夏四月,  靈帝病篤, 召大將軍何進入宮, 商議后事那何進起身屠家, 因妹入宮爲貴人,

生皇子辯,  遂立爲皇后,  進由是得權重任帝又寵愛王美人生皇子協. 何后嫉妬, 鴆殺王美人.

皇子協養于董太后宮中. 董太后乃靈帝之母, 解瀆亨侯劉萇之妻也. 初因桓帝無子, 迎立解瀆亨侯

之子,是爲靈帝. 靈帝入繼大統, 遂迎養母氏于宮中, 尊爲太后. 董太后嘗權帝立皇子協爲太子.

亦偏愛協, 欲立之. 當時病篤, 中常侍蹇碩奏曰:

若欲立協, 必先誅何進, 以絶后患.”

帝然其說, 因宣進入宮. 進至宮門, 司馬潘隱謂進曰:

不可入宮, 蹇碩欲謀殺公.”

進大驚, 急歸私宅, 召諸大臣, 欲盡誅宦官. 座上一人挺身出曰:

宦官之, 起自冲質之時朝廷滋蔓極廣,  安能盡誅?  倘機不密, 必有滅族之禍, 請詳細之.”

視之, 乃典軍校尉曹操也. 進叱曰:

汝小輩安知朝廷大事?” 正躊躇間, 潘隱至, :

帝已崩今蹇碩與十常侍商議秘不發喪矯詔宣何國舅入宮, 欲絶后患, 冊立皇子協爲帝.”

未了, 使命之, 宣進速入, 以定后事.

 

操曰:

今日之計, 先宜正君位, 然后圖賊.” 進曰:

誰敢與吾正君討賊?” 一人挺身出曰:

願借精兵五千,斬關入內, 冊立新君, 進誅閹竪, 掃淸朝廷, 以安天下!” 進視之, 乃司徒袁逢之子,

袁隗之侄: 名紹,  字本初,  現位司隸校尉. 何進大喜, 遂点御林軍五千. 紹全身披挂. 何進引何顆

荀攸鄭泰等大臣三十余員, 相繼而入, 就靈帝柩前, 扶立太子辯即皇帝位.

 

百官呼拜已畢, 袁紹入宮收蹇碩蹇碩走入御園花陰下爲中常侍郭勝所殺. 碩所領禁軍, 盡皆投

. 紹謂何進曰:

中官結黨, 今日可乘勢盡誅之.” 張讓等知事急, 慌入告何后曰:

始初設謀陷害大將軍者, 止蹇碩一人, 幷不干臣等事. 今大將軍聽袁紹之言, 欲盡誅臣等, 乞娘

怜憫!” 何太后曰:

汝等勿憂, 我當保汝.” 傳旨宣何進入. 太后密謂曰:

我與汝出身寒微, 非張讓等, 焉能享此富貴今蹇碩不仁, 旣已伏誅, 如何聽信人言, 欲盡誅宦官

?” 何進聽罷, 出謂衆官曰:

蹇碩設謀害我, 可足滅其家. 其余不必妄加殘害.” 袁紹曰:

若不斬草除根, 必爲喪身之本.” 進曰:

吾意已決, 汝勿多言.” 衆官皆退.

 

次日, 太后命何進參彔尙書事, 其余皆封官職. 董太后宣張讓等入宮商議曰:

何進之妹, 始初我擡擧他. 今日他孩兒即皇帝位, 內外臣僚, 皆其心腹: 威權太重, 我將如何?”

奏曰:

娘娘可臨朝, 垂簾聽政; 封皇子協爲王; 加國舅董重大官, 掌握軍權; 重用臣等, 大事可圖矣.”

董太后大喜, 次日設朝, 董太后降旨, 封皇子協爲陳留王, 董重爲驃騎將軍, 張讓等共預朝廷. 何太

后見董太后專權, 于宮中設一宴, 請董太后赴席. 酒至半酣, 何太后起身捧杯再拜曰:

我等皆婦人也, 參預朝廷, 非其所宜, 昔呂后因握重權宗族千口皆被戮. 今我等宜深居九重.  

廷大事, 任大臣元老自行商議, 此國家之幸也. 願垂聽焉.” 董后大怒曰:

汝鴆死王美人, 設心嫉妬, 今倚汝子爲君, 與汝兄何進之勢, 輒敢亂言! 吾敕驃騎斷汝兄首,

!” 何后亦怒曰:

吾以好言相勸, 何反怒耶?” 董后曰:

汝家屠沽小輩, 有下見識!”  兩宮互相爭竟, 張讓等各勸歸宮. 何后連夜召何進入宮, 告以前事.

進出,召三公共議來早設朝,使延臣奏董太后原系潘妃, 不宜久居宮中, 合仍迀于河間安置, 限日下

即出國門. 一面遣因起送董后; 一面点禁軍圍驃騎將軍董重府宅, 追索印綬. 董重知事急, 自刎于后

. 家人擧哀,軍士方散. 張讓段珪見董后一枝已廢, 遂皆以今珠玩好結何進弟何苗幷其母舞陽

, 今早晩入何太后處, 善言遮蔽: 因此十常侍又得近幸.

 

六月, 何進暗使人鴆殺董后于河間驛庭, 擧柩回京, 葬于文陵. 進托病不出. 司隸校尉袁紹入見進曰:

張讓段珪等流言于外, 言公鴆殺董后, 欲謀大事.  乘此時不誅閹宦, 后必爲大禍.  昔竇武欲誅內

, 機謀不密, 反受其殃. 今公兄弟部曲將吏, 皆英俊之士; 若使盡力, 事在掌握. 此天贊之時, 不可

失也.” 進曰:

且容商議.” 左右密報張讓, 讓等轉告何苗, 又多送賄賂. 苗入奏何后云:

大將軍輔佐新君不行仁慈,  專務殺伐. 今無斷又欲殺十常侍, 此取亂之道也.” 后納其言, 少頃,

 何進入白后, 欲誅中涓. 何后曰:

中官統領禁省, 漢家故事.  先帝新棄天下,  爾欲誅殺舊臣,  非重宗廟也.” 進本是沒決斷之人,

太后言, 唯唯而出. 袁紹仰問曰:

大事若何?” 進曰:

太后不允, 如之奈何?” 紹曰:

可召四方英雄之士, 勒兵來京, 盡誅閹豎. 此時事急, 不容太后不從.” 進曰:

此計大妙!” 便發檄至各鎭, 召赴京師. 主簿陳琳曰:

不可!  俗云:  ‘掩目而捕燕雀’,  是自欺也. 微物尙不可欺以得志, 況國家大事乎? 今將軍丈皇威,

 掌兵要, 龍驤虎步, 高下在心, 若欲誅宦官, 鼓洪爐燎毛髮耳, 但當速髮雷霆, 行權立斷, 則天人

順之. 却反外檄大臣, 任犯京闕, 英雄聚會, 各懷一心,所謂倒持干戈, 授人以柄, 功必不成, 反生亂

.” 何進笑曰:

此懦夫之見也!” 旁邊一人鼓掌大笑曰:
此事易如反掌, 何必多矣!” 視之, 乃曹操也. 正是: 欲除君側宵人亂, 須聽朝中智士謀. 不知曹操

說出甚話來, 且聽下文分解.

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